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褒めすぎていると対人関係が損?褒めない関係性を作ろう
相手のことをいつも、褒めて盛り上げる。
しかし、そんな風にコミュニケーションをとっていたら、なんか時間が経つに連れて違和感を感じて、、なんか嫌われているのかもと考え込んで凹んでしまった。
そんな疑問にお答えします。
どうも、ブログ運営者のポチ(@sunrise_033)です。
もしかしたら、こんな経験したことだあるかもしれません。
この結末は、2パターンあり、実際に相手と疎遠になったパターンと自分自身の勘違いだったパターンです。
(どちらとも経験あり。)
では、なんでこのようなことが起きるのでしょうか?疎外感と孤独感が生まれてしまうのでしょうか?
それは「褒める」という行為が間違っていたのかも?
今回は、「褒める」ことで対人関係を損をする理由と改善方法を詳しく見ていきたいと思います。
改善方法を先にいうと、「人を褒めない」、そして「自分の意識を変える」ということです。
これでは、何言っていの分からないと思うので、詳しくみていきます。
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「褒める」とコミュニケーションの関係性
ネットで色々調べていくと、「褒めること」とは、「最高のコミュニケーションツール」、「円滑にコミュニケーションできる手段」として広く紹介されています。
人間、褒められると嬉しいもの。
これは、承認欲求が満たされることで起きる自然なことなんです。
しかし、褒めるの「褒」という感じには、「ごほうび」という意味もあり、目上の人の使うと失礼に値するという解釈もあります。
「褒める」の動機は複数ある?
「褒めること」って、動機が1つではないと思うんです。
感覚的に言えば、「感情的に発した褒める」と「計算して出た褒める」といった感じですかね。
前者は、条件反射に「すごいね!」と出てしまうような相手の感情に共感した時の言葉。
後者は、相手の喜ばせようとした時に用いる「コミュニケーション」としての言葉。
僕の場合、後者の方をよく使っていることに気が付いたんです。
「褒める」の本当の意味は相手を見下す行為?
「褒める」ことに感心が湧いたのは、岸見一郎氏のベストセラー著者「嫌われる勇気」に触れたことでした。
その内容で、
「褒められようとしない、褒めない」ということが書かれているのですが、
褒めることで、相手の下に見下す心理が生まれ、
褒められた側も潜在的に自分は下なんだと刷り込まれてしまう。
ということが書かれていました。
【フレーズで覚える】嫌われる勇気、「大体があなたの課題じゃない」
この考え方がとても心に刺さりました。
で、自分のこれまでの行動を分析してみると、
コミュニケーションとしてしていた行為で相手を見下すことを気づかないうちにしていたということを知ったのです。
相手を「褒める」行為をしていた理由は気に入られたかったから
それは、子供の頃から「褒められて嬉しかったから」です。
そして、「自分のされて嬉しいことを相手にすれば、喜んでもらえる」と思ってたんです。
その動機は、周りから気に入られたかったからでした。
これは、人からの評価で、自分の価値を測っている行為でもあります。
子供の頃から「自分がされて嫌なことは相手にもしないで」と言われ続けて育ちました。
なので、逆に嫌われないためにはと考えたのは、
「自分のされて嬉しいことを相手にすれば、喜んでもらえる」。
そうすれば、相手から気に入られて自分の価値が上がる。
嬉しいことを相手にする=「褒める」こと
この方程式をコミュニケーション手段で使っていたんですね。
子供の頃から、親や学校の先生から「褒められたい」、「認められたい」(→賞罰教育)という心理があり、「褒められること」に依存していたとも言えます。
意識して「褒めない」工夫をする
過度に褒める、なんでも褒める。自分が褒められて嬉しいから相手にも嬉しがってもらいたい。
それって、相手が求めていることですか?ってことです。
相手によっては「見下してるの?」「なんか偉そうなんだけど」とか思ったりするかもしれません。
なので、過度に褒めてしまっている人は「褒めない関係性」を相手と築くことが大事になってきます。
ここで、改善する方法を考えてみました。
- 自分自身の「褒められたい」をやめる
- コミュニケーションとして「褒める」ことをしない
- 言葉を変える、「ありがとう」で横の繋がりへ
- 相手を信頼する
詳しく見ていきます。
自分自身の「褒められたい」をやめる
いわゆる承認欲求の否定です。
「褒められる=認められる=嬉しい」という前提を変えます。
褒められることはたしかに嬉しいですが、「褒められたい」欲求は賞罰教育の刷り込みと考える。
そして、「褒められることで自身を下に見せてしまう」のだとしたら、相手から褒められることってそこまで必要でしょうか?
コミュニケーションとして「褒める」ことをしない
こうして、前提を変えれば、「褒められること=嬉しいこと」ではなくなります。
そして「相手を褒めること=相手を下にみる行為」だと認識するとそんなことを相手にしたいと思わなくなります。
しかし、共感として結果的に「褒める」ことは波動や雰囲気が伝わるので双方が嬉しくなるので、使ってくださいね。
言葉を変える、「ありがとう」で横の繋がりへ
過度に褒めるのではなく、事柄に共感した言葉や感謝にシフトすると、会話に上下関係がなくなります。
普段から、「ありがとう」を口ぐせにすると良いですね。
相手を信頼する
今まで、周りのことに気を使ったコミュニケーションをとっていたら、自分らしく振る舞うのはとても勇気がいると思います。
でも、それは裏返せば、自分自身が相手を信頼していないということでもあります。
相手の行動に疑いを持つ時、周りの目が気になり自分の発言が否定されるのではないかと疑心暗鬼になるのです。
だから相手を信頼する。
(言葉では簡単ですが、やってみると意外と難しいんですよね。)
でもやってみる価値あり。もし、相手から否定、塩対応や無視をされたら「それは相手の結果に影響したことだから自分の課題ではない」と割り切りましょう。
嫌われたくない相手には一旦、距離を置いて対応する
もし気を遣う相手がいた場合、相手の反応を「気にしている」時点で、こちらが仲良くしたい感情があることが多いです。
でも相手から、嫌っている前兆みたいなものがあるから気を遣う。
こんな時に「褒める」ことで印象を良くしたい願望が出てきます。
ですが、逆効果になることも多いので関わりを絶って自分の意識から外します。
一旦、距離をおけば向こうもそれに気づくもの。
その感覚が自分の思い込みなら向こうから接触してきますし、本当に嫌われていたなら、そのまま関係もなくなるでしょう。
肝心なのは、「確かめること」であり、その期間中に「自分自身の行いを変える」ことです。
もし嫌われていても、相手から見た「自分の一部分」を嫌っているということでして、それを気にして自分には価値はないとはならないことだけは忘れないでください。
それでも関係性を持っていたいと思うなら、自分自身で改善して変化していけば相手の反応も変わっていきます。
まとめ
「褒める」ことは円滑にコミュニケーションをするためにテクニックという意見は確かにそう思います。
しかし、過度にコニュニケーションで褒める癖がついていると、相手から不審がられたり、距離を置かれる可能性もあります。
「褒めること」に依存してしまっているのなら、「褒めない関係性」を構築していきたいものですね。
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