終戦の日(終戦記念日)で色々と感じたことを書いていきたいと思います。
当時の世界の当たり前
当時の世界では、植民地支配が当たり前という言い方は語弊がありますが、欧米列強は普通にしていました。
主にアジアや南米などは植民地にして、そこから石油や資源などを入手してたんですね。今、話題になってる台湾なんかは日本の植民地になる前は欧州の植民地でしたし、アヘン戦争後の中国は列強国が進出してる土地でした。
なので日本も明治維新以降にどんどん大陸に進出していったんですね。
当時の列強国のステータスは植民地支配だった。
日本の大陸進出は世界恐慌の影響もある
では、日本が大陸に出ていったのは何故でしょうか?それは下記の理由がありました。
・世界恐慌が日本にもやってきた
・植民地勢力を伸ばしたかった
1929年から起きた世界恐慌は日本にも影響を及ぼしました。いや、世界恐慌のせいにして、戦争していいなんてことあるわけないですよしかし、恐慌の影響で「失業者が溢れる」
、「モノが売れなくなる」という負のスパイラルが出てくる予想でした。
そこで大陸に進出することで軍事力(労働力)が必要になり植民地支配をして、勢力を拡大すれば新たな市場や資源を確保できるということから軍部からの意見が出されたわけです。
失業者を出さずにいれて、列強国では当たり前だった植民地まで確保できるんですもんね。こうして、満州などに進出するようになったんです。
ちなみに満洲は日露戦争前まではロシア(当時は帝国)の植民地でしたが、日本が勝利し、ロシアと共同で権益を確保するようになりました。
その後満州事変が起こり、日本が満州を占領し、満州国を建国しました。これがのちに世界各国との歪みを生むことになりました。
日中戦争から突入した太平洋戦争
第二次世界大戦、太平洋戦争(大東亜戦争)呼び方色々ありますが、
第二次世界大戦→1939年〜
太平洋戦争→1941年〜
第二次世界大戦はドイツとイギリス・フランスの開戦から始まりました。
そして、太平洋戦争は日本の米軍基地はの真珠湾攻撃(パールハーバー)からはじまったんですね。
前者はドイツ、イタリア対ヨーロッパ連合軍、対して後者は日本対アメリカです。
ちなみにこの時点では日本は中国との戦争をしていました。そして、後方支援していたのか、ビルマを植民地にしてたイギリス、ベトナムを植民地にしてたフランス、そして、アメリカです。
さらにこの日中戦争中の1940年にドイツ、イタリア、日本の三国同盟を結ぶことになるんですね。なので、太平洋戦争前にもうすでにそういう空気がでてたのです。
アジア諸国はどうだったのか?
この勢力図を見て分かる通りなのですが、日本以外のアジアって中国しか名前上がってなくないですか?ここがポイントなんですが、この当時はアジア諸国は欧米国の植民地になっていました。
・インド→イギリス領インド帝国、オランダ領東インド
・インドシナ(ベトナム・カンボジア・ラオス)→フランス
・ビルマ(ミャンマー)→イギリス
・シンガポール→イギリス領マラヤ
植民地とは、侵略国家で、別荘みたいな感じ。要するに、代理で戦争させてもその植民地化してる国の勝利になります。その国の領土ってことですね。
アジア諸国のほとんどは植民地支配を受けていた。
日本と米国が開戦→太平洋戦争
今では、考えられないと思いますが、太平洋戦争とは、簡単にいうと、
日本とアメリカ(その他、連合軍)の戦争です。勃発した理由としては、以下の通り
・日本の満州国の建国で各国は反対
・アメリカや各国が経済制裁をする
→(ABCD包囲網、のちに厳しくなり石油も輸出禁止になる)
・ドイツが、フランスを占領して、植民地のベトナムが手薄になる
・日本がベトナムの方まで勢力を拡大する
・アメリカ側からの交渉文書(ハルノート)が提出される
当時の日本はほぼ石油を海外から輸入していました。アメリカや中東、インドネシアなどです。
そしてこの中東、インドネシアとは先ほども言いましたが、当時は欧米国の植民地支配にありました。
すなわち、そちらの領土という分けですね。なので日本は飛行機を飛ばす燃料も汽車、戦車など動かす燃料がなくなるってことです。
日本はアメリカと交渉の場を設けることになります。アメリカも欧州の大戦の支援をするために極力争いたくなかったので、このハルノートを出しました。
(この時、ルーズベルト大統領は不在だった)
内容は、
・満州国の解体
・三国同盟からの離脱
・中国やインドシナからの撤退
・蒋介石(ちょうかいせき)政権のみを肯定、汪兆銘(おうちょうめい)政権は否定
など、といったものでした。
・蒋介石(ちょうかいせき)政権→当時の中華民国の政権
・汪兆銘(おうちょうめい)政権→日本の統制領地の政権
簡単にいえば、明治以降に培ってきた権益(大陸における植民地化)を失効しろということでした。ちなみにその当時はABCD包囲網で輸入は禁止されており、国交もないに等しいため、権益をなくすわけにはいかなかったんですね。
また、当時は植民地化は盛んでしたので、これではまた明治初期の日本に逆戻りになりかねません。
これをきっかけにアメリカとの戦争は始まりました。
終戦
この戦争は1945年まで続きました。
ミッドウェー海戦、サイパン諸島、グアム諸島、レイテ島(初の特攻隊出撃)などの過酷で激しい戦いを経て、ついには沖縄戦、本土空襲(1942年から開始されていますが、1944、45年がもっとも多い)、2度の原子爆弾投下の中、8月15日正午に「玉音放送」がラジオでながれ、ポツダム宣言を受諾しました。
そして
・厚木基地の武装解除 8月24日
・沖縄軍の武装解除 9月3日
など、日本各地で武装解除、そして満洲などからの引き上げが行われました。
同年8月30日にはGHQの最高司令マッカーサー元帥は厚木基地に降り立ち、横浜をへて、東京の第一生命ビルに移りGHQオフィスをかまえることになりました。
マッカーサー元帥は横浜に着いた時、
「まるでゴーストタウンのようだ」
と述べたと言います。
9月2日に降伏文書を提出することにより、事実上の終戦を迎えることになりました。
戦争で残ったものはなんだったのか?
この戦争で、なにが残ったのでしょか?この戦争で非戦闘員も含めて約310万人の尊い命が失われました。
戦後の「東京裁判(極東国際軍事裁判)」で陸軍大将で第40代 内閣総理大臣東條英機を含めた7名に処刑判決が言い渡されました。なお、この時には今まで概念がなかったとされる事後法の「平和に対する罪」が用いられています。
このように、多くの犠牲者と日本の暴走に近い行動で戦争を拡大したことでの平和に対する罪だった。それだけでしょうか?
開放されたアジア諸国
もう一つ、注目したいことはこの戦争の後にアジア諸国がどんどん独立して行ったということです。
先にも述べましたが、大戦前。大戦中のアジアのほとんどの国は植民地でした。なので、戦争に参加することすなわち、列強国の領土のようなものでした。ですが、ほぼ1945年以降には、
・インド・パキスタン 1947年独立
・ベトナム 1945年3月11日(日本の占領中にすでに独立)
・カンボジア 1953年独立 *1945年に3月にフランス支配をクーデターで終わらせている
・ラオス 1949年独立
・ビルマ(現ミャンマー)1943年独立(日本の占領下であったが戦局悪化に伴い独立を認める)
・シンガポール 1965年独立
このようにアジアの国々は次々と独立しています。
もちろん、占領というのは、侵略です。肯定できるものでは決してありません。その中で戦闘はあっただろうし、決して日本のその行為は善となることはないです。
しかし、このように植民地支配時代におわりをもたらしたことが事実ですし、日本も植民地開放のために戦ったことも事実です。
インドの裁判官のラダ・ビノード・パールは東京裁判時には、事後法の「平和に対する罪」について述べ、被告の全員無罪を主張したといいます。
パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。
また、イギリスの歴史家であるアーノルド・J・トレンビーは、この様な言葉を残しています。
アジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明した。これはまさに歴史的な偉業であった。…日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである。
引用元:zakzak
まとめ
日本人はもっと胸を張っていって良いのではないでしょうか。戦後の日本の教育では、戦前、戦中の日本を否定的に見てしまう内容でいっぱいです。
しかし、もっと日本を愛しても良いのでなないのでしょうか。先人の方がお国のために命をかけてきた戦争を命を散らしてきた戦いは、褒められるものではないかもしれませんが、それでも尊敬の念を抱いても良いのではないでしょうか。
特攻隊で亡くなった方々はなにを思って飛び立ったのか、それは、決して憎き敵を倒すためではなかったです。
だれもが愛する人のために、家族のために、国のために飛びだったんです。今の日本は豊かだけれど、幸福感が乏しいといわれています。
若者の自殺も多いです。祖国を守るために散っていった先人の方が見たら悲しむかもしれませんね。
だから一生懸命に守ってくれた先人の方を思って胸をはって人生いきましょう。
と思うのでした。
今回はあくまでも個人的意見なのでご了承ください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
↓「ブログ村ランキング」参加中!
コメント